第1回 第2回 第3回 第4回
●連載小説『ヒッパロスの風に乗って』第4回・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松原敬三
○ザイールドラム
「おお、それなら任せてくれ。いいところがあるよ」と、品川は胸を張って答えた。
「有望な新規取引先が、ザイールにもあるんですか?」渋谷は、餌を求めるキリンのように、間延びした顔を品川にヌーッと近づけた。
「ちゃんと鉄を買ってくれるところですか」
「ハイナ!当たり前だろうが。ドンドン買うところに決まっているぜ。あんたの上司の五反田課長は、アフリカ市場に何の興味もないようだから、あえて話さなかったんだ」
「具体的にどのくらい買うんですか?月に 1000 トン、年間 1 万 2 千トンとか・・・」
「ウウウン・・・そうだなー・・・まあ・・・何しろたくさん買うんだ。このくらいだ」と、品川は両手を高く、渋谷の頭上に広げて見せた。渋谷はそれを、口をあけて見上げた。
「・・・すごいですね・・・よくわからないけど・・・でもそんな大口の取引先じゃ、すでに他の商社が食い込んでいるでしょう。今までどこから鉄を買っていたんですか?それとも、新しくできた会社なんですか?」
渋谷はボーッとしているように見えるが、一応商売のポイントを突いてくる。品川は一呼吸おいて、とっておきの有望な新規取引先について語り始めた。
品川の言う有望新規取引先を、ザイールドラム株式会社という。石油製品を運ぶ容器の、ドラム缶を製造する会社だ。日本の 6 倍強の面積を持つザイール(現在はコンゴ民主共和国)の全土に石油製品を運ぶドラム缶が、この会社で一手に製造されている。本社と工場は、首都キンシャサの郊外にある。
この企業は従来、ザイールの旧宗主国であるベルギーの資本で設立された。ドラム缶の原料となる鋼材も、今まではベルギーの親会社で調達されていた。ところが近年のザイールにおけるベルギー資本排除の動きが活発化する中で、ザイールドラムも、キンシャサに本拠を置き、ザイールで手広く流通業や軽工業を展開する、レバノン系のムカリムグループに買収された。外資から現地資本へと変わったザイールドラムは、鋼材などの原材料買い付けも、ザイール内で直接行うようになった。
「いつ買収されたんですか」と、渋谷が品川の話を遮った。
「つい最近だ。これは極秘情報だぞ。ほかの商社は、まだ気付いていない。オレはムカリムグループには、女の腰巻用布地を大量に売っているから、とっても親しい間柄なんだ」
「へーッ、でもレバノン人って結構厳しい商売人ですよね。大丈夫ですか?」心配そうに覗きこむ渋谷の顔を睨みつけるようにして、品川は顔中を眼と口にして力んでみせた。
「オウ!任せてくれ!ムカリムグループ総帥のアブラムスとは、義兄弟みたいな間柄だ」
「義兄弟って…なんだか、尋常じゃありませんね。総帥の名前も、暗がりをゴソゴソ這うような感じだし・・・」
「アブラムシじゃなくて、アブラムスだ。以前ムカリムグループのビジネスが調子悪くて、金の払いが滞ったことがある」
「益々ヤバそうな相手じゃないですか」
「オレは毎日のように、アブラムスのところに金の催促に行った」
「毎日ですか?他の仕事はなかったんですか?」
「ウルサイ!黙って聞け!…毎日やって来て執拗に催促するものだから、アブラムスは遂に怒ったな」
「・・・・・アブラムシの気持ち・・・分かります・・・一寸の虫にも五分の魂・・・」
「激怒して、彼は机上にあったガラスの灰皿を、オレに向かって投げつけた」
「それが当たって、今の顔になったんですか?」
「バカヤロウ!柔道で鍛えたオレは、瞬時に体をかわした。そうしたら、投げた灰皿がオレの後ろに飾ってあった置物にぶつかって壊れた。金ピカのペンギンの置物だった」
「金ピカのペンギンですか…なんか間が抜けてますねえ」
「何だか知らないが、それはアブラムスにとって、命の次に大切なモノだったらしい。ヤツは急にしょんぼりして、小さな声でオレに、『出ていけ』と言った。ほとんど泣き声だったな」
「そっ、それで・・・」
「翌日彼から、支払いの小切手が届いた。滞っていた債務全額を支払ってきた」
「へーッ、アブラムシの気持ちが、読み切れませんね」
「それからどういうわけか、ヤツはオレに親しくなったんだ。その後ムカリムグループの仕事も上向いて、ビジネスも順調に伸び、メリハリ商事との取引も大きく膨らんだ。盃を交わしたわけじゃないが、オレとアブラムスは、今や義兄弟みたいに親しい。今度のザイールドラム買収の件だって、ヤツがオレだけに、極秘で教えてくれた」
「灰皿を投げつけられた相手と義兄弟関係になるまでの急激な状況変化に、ややついていけないものを感じますが、でも品川さん、これはチャンスですねえ。ドラム缶メーカーというのは、鋼材の大きな消費者です。ドラム缶の原材料の、ほとんどが鋼材ですから」
「ハイナ!取引先の購買経路が変わるということは、商権奪取の大きなチャンスだ。幸いベルギーの親会社が買っていたときは、ほとんど欧州製の鋼材だったらしい。だからザイールドラムは、まだ日本商社には知られてないはずだ」
「いいじゃないですか品川さん!キンシャサに戻ったら、すぐに具体的な引き合いをくださいよ。さっそく鉄鋼メーカーから、オファーを取りますから」
渋谷が似つかわしくない早口で言ったとき、終業のチャイムが社内になり響いた。
「アッ、イケナイ!会社を出なくっちゃ。 18 時発の始発電車に乗り遅れちゃう。それじゃあ、品川さんよろしく」
渋谷は言い残すと、自分の机上も片付けずに、驚くほどの早い身のこなしを見せながら、風のようにオフィスを出て行った。品川は半分口を開けて、渋谷を見送った。
○引き合いの入手
「所長、出張成果は予想以上でしたよ。鉄鋼貿易部門から絶大なバックアップをもらえることになりました。例のザイールドラムですが・・・」
品川は、キンシャサ事務所長の田町に対して、出張報告をしている。ザイールドラムの一件を話すところに来て、わざとらしく声をひそめる。極秘情報らしさを高める雰囲気を演出するためだ。
「品川君、家内とは会えなかったそうですね。そんなに忙しかったんですか?君の出張中に、本社からは何も前向きな話は来ていませんよ。本当に成果はあったんですか?」
田町はいつものように、疑念に満ちた視線を送る。田町所長独特の視線を久しぶりに受けて、ちょっと懐かしさを覚えると同時に、キンシャサに戻ってきた実感を得た。
「近々ザイールドラムと、おおきな鉄鋼の商売ができると思いますよ」
「ザイールドラムがムカリムに買収されたんですか?気をつけなさいよ。あそこはいつも金払いが悪いじゃないですか。手形の満期に払ったためしがない。新しい取引をするなら、 D/A180 日( 180 日満期の荷為替手形決済)じゃなくて、 L/C 決済(銀行発行の信用状決済)でやらなくちゃだめですよ」
田町の相変わらずの腰の引けた姿勢には、品川は慣れっこになっている。適当に相槌を打って、所長室を出る。自分の席に戻った品川は、ムカリムグループ総帥のアブラムスに電話をかけた。
「オウ!兄弟か。日本に出張していたらしいな。今度行く時はオレも一緒に行くから、パンダとかいう動物の住む山に案内してくれ」
「パンダは日本じゃなくて中国だ。アブラムスの兄弟ョ、恥かかない程度に勉強はしとけよ。ところで、ザイールドラムの買収手続きは済んだの」
「アア、完了よ。あそこのトタン屋根から、金属切断機、便器に至るまで、今や全部ムカリムのものだ。鉄をジャブジャブ使うから、日本のいい鉄を安く売ってくれよ」
「任しとけ!いつ引き合いをくれるんだ」
「ザイールドラムのことは、アリに任せることにした。工場の方にいるから、あいつと話しを進めて、ドンドン商売をやってくれ」
「アブラムスの兄弟、ひとつ頼みがあるんだが、支払いには L/C を開いてくれないか」
「なんだ、いつもの D/A180 日決済じゃだめなのか?」
「田町がうるさくてさあ、 L/C じゃないと新しい取引を認めないって言うんだ」
「アイツは猫よりキンタマの小さい男だからな。 D/A でもちゃんと払うのに」
「そうでもないじゃないか。いつだって満期に手形を決済したことがない。また毎日カネの督促に押しかけるぞ」
「わ、わかったよ。今でもオマエのおかげで壊した金のペンギンが夢に出てくるよ。このトラウマは一生ついて回りそうだ。これ以上のトラウマは抱えたくないから、 L/C でやるよ」
品川は翌日社有車の運転手に命じて、ザイールドラムへと向かった。同社社長兼工場長のアリとは、アポイントを取ってある。アリはムカリムグループの番頭のような存在で、品川はよく知っている。陽気な男で、品川とは波長が合う。あまり鋭くない男なので、仕事もやり易い。以前働いていたベルギー人は、本国に戻ってしまった。アリ程度の男に、ドラム缶製造会社の経営ができるのだろうかと、超楽天家の品川でもやや不安に思う。
ビルの立ち並ぶキンシャサの市街を抜け、トタン屋根の粗末な民家の密集地を過ぎると、視界が急に開ける。右手に悠然と流れるコンゴ河(当時はザイール河)が見えてくる。遙か対岸は、旧フランス領のコンゴ共和国(ブラザビル・コンゴ)だ。ザイール唯一の外港へと続くマタディ街道を走れば、まもなく左手にジャングルを切り開いた赤土の平地があり、ザイールドラムの工場全景が見えてくる。
アリは、品川を待っていた。狭い事務所の背後の工場から、鉄材を加工する衝動音が響いてくる。脇の資材置き場には梱包されたままの鉄板が積み重ねられている。これからは、メリハリ商事の納入する鉄板がここに積まれてゆくのだと、品川は想像した。
「オウ品川!日本に行ってたんだって?ナマ魚をたらふく食ってきたか?気持ちの悪いヤツだ」アリの日本への理解度は、アブラムスよりはましである。
「今度大社長になったそうで、おめでとう。工場も忙しく稼働しているみたいじゃないか」
「ありがとうよ。おかげ様で酒を飲む暇もないくらいだ」アリは、仕事場にも酒を持ち込んでいるほどの、アルコール中毒寸前の男だ。
「アブラムスから聞いてるよ。ちゃんと L/C で決済してやるから心配するな。とりあえず、 CRS (冷延鋼板) 2000 トンを、 2 回に分けて納入してくれ。一番早い船積みだと、いつになるか教えてくれ。もちろん価格は安く頼むぞ」
アリはメモ用紙に要点を手書きした略式の引き合い書を、品川に手渡した。
●連載小説『ヒッパロスの風に乗って』第3回・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松原敬三
○出会い
本社男子トイレの中、品川は隣で用を足す若手社員の顔をもう一度見た。背の高い男も品川を見下ろしながら、再び目を合わせてニッと笑った。年長と思われる品川としては、何か声をかけねばならない立場を感じた。
「あと二時間・・・もう少し・・・って、入札の準備か何かに追われているんですか?」
「ええ・・、いえ・・・あの・・・マア・・・」
声を掛けられた若手社員は、品川の問いかけにちょっと当惑した様子を示す。
「入札って、何の入札ですか?」
「あっ、いや、入札じゃなくて・・・その・・・早く終業時間にならないかと思って・・・」
「・・・・・」
こいつは何だと、品川は思った。商社の仕事の現場は、次々と多様な用件が舞い込んできて多忙を極め、時間がいくらあっても足りないところである。それなのに、終業時間を待ちわびてトイレで時間を潰しているとは・・・
「あんた、所属はどこですか」
「鉄鋼貿易部です」
「鉄鋼貿易部って・・・あそこはうちの会社の中でも、最も忙しいところでしょ。残業量だって半端じゃないって聞いてるよ。終業時間を待ちわびるって、そのあと取引先の接待でもあるの」
「ないですよ・・・そんなもの。早く会社を出ないと、18時の始発電車に乗れないし、家に帰って、ナイター中継の大事な場面を見逃したら大変ですから。それに、女房が食べないで、待っていてくれてるし・・・新婚なんですよ。スイマセン」
若手社員は気負いなく、顔に笑みを浮かべてゆっくりとした口調で話した。品川は、まいったと思った。見たところ、せいぜい四、五歳若い程度の男の口から吐かれる淡々とした言葉には、これまで誇ってきた自分の人生観を、いっぺんに踏み潰ぶすようなインパクトがあった。品川は、しばし言葉を失う。時間をおいて・・・
「数日前、オタクの五反田課長と打合せをしたけど、『ウチは忙しくて人がいくらいても足りない』って、言っていたよ・・・あっ、申し遅れましたが、自分はアフリカのキンシャサ駐在員をやっている品川です。いま本社に出張で来ています」
「それって五反田課長の口癖です。実際、そんなに忙しいことありませんよ・・・ぼくは、鉄鋼貿易部の渋谷です。そうですか。課長と打ち合わせされたのですか。ぼくアフリカ担当なのに、何で品川さんとの打合せのとき、五反田課長から呼ばれなかったのかなあ」
渋谷は、抑揚の乏しい口調で話す。仕事をしない薄ボンヤリ野郎だから、課長から無視されているのだろうと、品川は思った。
「でっ、五反田課長は、アフリカ向け取引について、何て言ってました?」
渋谷は品川を、ヌーッと見下ろすようにして聞いた。終業時間を待ちわびるような奴でも、自分の担当地域についての上司の見解は気になるようだ。品川の心に、渋谷と名乗る若手社員に対する、何ともいえない愛着が湧いてきた。自分とは全く逆のキャラクターを持っていそうなこの男に、なぜ愛着を感じるのか、品川にはよく分からない。風変りで、何だか面白そうな奴だからだろうか。品川が一番嫌いな優等生タイプとは、程遠い感じの男だからだろうか。
「五反田ってえ課長はひどいねえ。あれでよく課長が勤まると思うよ。アフリカ市場について何の見識もないし、戦略もない。ありゃ一体何なんだ」
周囲に誰もいないのと、渋谷への不思議な愛着が、品川に本音を吐かせた。
「でしょう。ことはアフリカ市場だけに限りませんよ。ウチの課はアフリカ以外に中東と欧州向けも担当していますが、五反田さんはどの市場に対しても戦略性ゼロ、場当たり主義、競合する商社や、メーカーの動向ばかり気にしているだけなんですよ。あのひとの話って暗いでしょう。姿勢はいつも後ろ向き。空が晴れていても、顔にはいつも影が差している」
渋谷は、品川のストレートな言葉に乗ってきた。口調は相変わらず淡々として抑揚に乏しいが、薄笑いとともに上司を容赦なく切り裂いてゆく。上司への不満が、相当溜まっているらしい。
「そうか、やっぱりそうなのか。あんたもあんな課長の下で苦労するなあ」
渋谷は、目を細めてニッと笑い、無言で相槌を打った。
「渋谷さん、今から少し打合せの時間とれない?オレは明日キンシャサに戻るんで、本社との打合せ予定はほぼ終わっているけど…」
「いいですよ。終業時間まではガラ空きですから。アフリカ向け鉄鋼輸出大作戦を練りましょうよ。キンシャサ生活の話も聞きたいし・・・」
渋谷はノンビリして仕事嫌いに見えるが、実際は仕事に前向きな男なのかもしれない。品川は東京本社に出張して、はじめて手ごたえを覚えた。
○打合せ
二人は、鉄鋼貿易部の打ち合わせブースに入った。先日五反田課長と打ち合わせたのと同じ場所だ。鉄鋼貿易部の職場を見渡すと、女性職員しかいない。半分以上の席が空いていて、男性職員はすべて外出しているらしい。五反田課長も見当たらない。
「この時間、みんなメーカーへ営業に出ているんですよ」
きょろきょろしている品川を見て、渋谷が言った。
「あんたは、メーカーに行かなくていいのかい」
「メーカーへ行っても、他の商社の連中がいっぱい来ていて、メーカーの担当者と一言打ち合わせるにしても、何時間も待つ必要があるんですよ。メーカーなんか、毎日行かなくてもいいんです。海外支店からの引合が溜まったところで、一度に持っていく方が効率いいですから」
「一言打ち合わせするだけで、何でそんなに待つの。電話で済ませばいいじゃないか」
「そうはいかないですよ、鉄鋼商売では。なんせ鉄鋼貿易をやっている商社はたくさんあって、その一方で大手の鉄鋼メーカーの数は限られているでしょ。海外バイヤーから同じ引合がいくつもの商社にばら撒かれる。同じ引合を受取った商社は、それを同じ鉄鋼メーカーに持込む。早い者勝ちの競争になるわけですよ。鉄鋼メーカーの営業担当者は席に座っているだけで、商社が束になって引合を持ってくる。それを整理して、どの商社経由で商売をするかを決めるのが、彼らの仕事です。商社としたらきちんとした引合書を作って鉄鋼メーカーに持込み、担当者にうやうやしく引合の内容や背景をご説明申し上げないといけない。電話でチョイチョイと引合を連絡するだけの商社じゃ、相手にしてもらえないんですよ」
渋谷は淡々と、鉄鋼貿易業界の営業の実態を説明した。ゆっくりした彼の口調は品川をいらつかせるものではあったが、渋谷の言葉から、数か月前にキンシャサに出張してきた、鉄鋼メーカーの輸出担当係長のことを思い出した。
「そういえば、この前来た帝国製鉄の係長は、偉そうにふん反りかえっていたなあ。キンシャサ駐在の全商社が彼の限られた滞在期間内の時間を奪い合ってよう。みんなチヤホヤするもんだから、図に乗っちゃってさあ。帝国製鉄の係長って、そんなに偉いのかよ」
品川は、渋谷の上司である五反田課長との打ち合わせのときにも、同じような質問をした。そのとき五反田は、「そりゃあそうですよ。帝国製鉄の係長となれば、大変なものです。過当競争の商社の中からどこの商社と取引するかは、基本的に係長の意向で決まるのですから」と、小声で怖れおののきながら話していた。
「大したことありませんよ、係長なんて。帝国製鉄の看板を外したら、ただの人じゃないですか」
渋谷の反応は、品川に益々彼への愛着を深めさせた。こいつは大物か、あるいはただのバカか。品川は、自分自身と渋谷が、段々重なり合ってゆく感覚を持った。
「それでも、毎日メーカーに引合書を持ち込み、鉄鋼メーカーの係長や担当者と親しくお付き合いしてないと、他の商社に先を越されるじゃないか。引合書を溜めて数日おきにメーカーに行ってたら、メーカーに相手にされなくなるだろう」
「品川さん、うちは大手商社じゃないんですよ。同じやり方をやっていたら、大手商社に勝てっこないですよ。同じ引合がウチと大手商社から入ったら、メーカーは確実に大手商社と取引しますよ。その辺りのことを、五反田さんは分かっていない。大手商社の真似ばかりしてたのでは、業績が上がるわけない。ウチがしっかり食い込んでいる客さえ持っていれば、毎日ご機嫌をとりにいかなくても、メーカーはちゃんとサポートしてくれます。どこの商社にも引合をばら撒くような安物買いの客なんて、メリハリ商事は相手にする必要ありませんよ」
渋谷の言葉を聞いて、品川は自分と渋谷が益々重なってゆくのを感じた。
「そうだよな、そこがメリハリ商事の生きる道なんだ。ウチしかできない、大手には真似のできない商圏を確立していかなくちゃ、いずれ大手に飲み込まれるしかない。実はねえ渋谷クン、今回本社各部局と打ち合わせてガッカリしたんだ。この石油ショック吹き荒れるエキサイティングな時代、今まで確立されてきたビジネス界の秩序が揺らぐ激動の時代だ。今こそ中堅商社、メリハリ商事勝負のときなんだ。このまま二流企業でくすぶり続けるか、一挙に一流企業に駆け上がるか、分かれ道のときなんだ。だからオレは、でかい仕事を仕掛けようと、本社と相談に来た。それがさあ、どこの部局も、大手と同じく産油国との取引拡大にしか関心がない。ザイールに石油がないというだけで、誰も相手にしない。石油が高騰すれば、ほかの鉱物資源にだって波及するだろうが。ザイールに石油は出ないけど、あの国は非鉄金属資源の宝庫なんだ。誰も気づかないうちに、何でザイールとの大仕事を仕掛けようという発想が出ないのかと思うと、ガッカリしたよ。メリハリ商事の行く末が思いやられるぜ」
品川は、東京に来てから溜め続けていた欝憤を、一挙に渋谷めがけて吐きだした。
「そうですよ。何か大仕事を仕掛けましょうよ。ウチは、中東や欧州では、大手商社の手が出ない鉄鋼のユニークな客をいくつか持っているんですけど、アフリカにはまだなくて探してたんです。品川さん、品川さんがバッチリ掴まえてて、大手の介入を許さないような客はいませんか。もちろん、鉄を買ってくれなくちゃだめなんですけど」
品川は渋谷の話を聞きながら嬉しくなった。品川の脳裏に、キンシャサにあるひとつの会社のことが浮かび上がってきた。
「おお、それなら任せてくれ。いいところがあるよ」
品川は胸を張って答えた。
●連載小説『ヒッパロスの風に乗って』第2回・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松原敬三
○縁遠い街
品川にとって、東京は久しぶりだった。先日取った長期休暇のときも、日本には戻らず、妻と四歳になる長男を連れて、東アフリカの草原をサファリツアー三昧で過ごした。大好きなアフリカが、ますます好きになった。妻も子供も、品川ほどではないにしても、日本には拘らず、アフリカ生活を楽しんでいる。
品川は新潟県に生まれ、隣県の大学を卒業した。海外での仕事を夢見ていた品川が就職先として選んだ中堅商社のメリハリ商事は、本社は東京にあったが、彼は大阪支社の繊維貿易部に配属された。そこで七年間勤務することになり、妻との出会いもあった。
大阪では、細かくてしみったれた繊維メーカーの社員や、金に目の眩んだ繊維問屋のオヤジとばかり付き合っているうちに、嫌気がさしてきた。その一方で、たまに出張するアフリカや中東の、広漠たる大地に魅せられるようになった。商売相手である、狡猾なインド、シリア、レバノンなどの商人たちとのだまし合いビジネスにも、快感を覚えるようになった。
品川が早く大阪から脱出したいと思っていた矢先、アフリカ・ザイール国・キンシャサ駐在員公募の話が耳に入った。誰もなりたがらないキンシャサ駐在員に、嬉々として応募した。応募したのは品川一人だったので、たちまちキンシャサ赴任の話が決まった。狭い世間の社宅生活に飽き飽きしていた妻と二人、低い社宅の天井にぶち当たるほど、二歳になる長男を高くほうり上げて、ゲラゲラ笑いながら喜んだ。今から二年前、1971年のことだった。
そんな品川が、今東京に来ている。彼に取っては縁遠い街だ。この街で暮らしたことがない。地理にも暗い。自分の名前が品川で、今のキンシャサの上司である田町とは、偶然山手線の隣り合う駅名であることも、他人から指摘されるまで知らなかった。
ゴミゴミした大阪は好きになれなったが、大阪以上に人が多くて、歩いている人がやけに気取った感じの東京は、もっと好きになれない。品川は酒好きだが、大阪時代、キタやミナミの高級酒場で取引先を接待するのが苦痛だった。だから銀座や六本木にも興味がない。酒を飲むなら、地平に真っ赤な夕日が沈むのを眺めながら、草原に寝そべって飲みたかった。公園で昼間から酒を飲むホームレスを見かけても、羨ましくなった。厚化粧に香水の匂いをまき散らす女より、黒光りする肌と埃の匂いのする女に魅力を感じた。
この縁遠い街東京にしばし滞在して、品川はメリハリ商事の幹部たちに、任地ザイールで大きな仕事を仕掛ける話を持ちかけようとしていた。東京に長居したくはないが、本社幹部たちとの話がどう展開するか、考えただけで品川は興奮した。持ち前の闘志が湧いてきた。
○田町夫人
品川は思い出した。所長の田町から託されたマラカイトのネックレスのことだ。田町の妻に、早く渡さなければならない。確か田町からの誕生日のプレゼントと聞いていた。誕生日は迫っていた。田町からの知らせを受けて、夫人は品川からの連絡を待っていることだろう。
本社幹部との打ち合わせには胸を躍らせる品川だが、田町夫人と会うことは憂欝だった。彼女とは、田町所長以上に波長が合わない。彼女は単身赴任の田町に会うため、たまにキンシャサにやってくる。アフリカの奥地にまでやって来て、なぜあそこまで気取るのか。彼女はギャハハハと笑うのに都合のよい顔をしていながら、無理にオホホホと笑うものだから、その都度顔が極端に歪む。とても正視に堪えられない顔となる。
品川の妻も、田町夫人を嫌っている。上司夫人風をビュービュー吹かせながら、品川の妻に対して使用人を扱うような命令をまき散らす。現地の事情を二百パーセント無視した、無理難題を吹っ掛ける。「キンシャサは、東京やパリと違うのよ」と、妻は品川の前で怒りに震える。田町夫人が日本に戻った後、品川の妻はいつも低いトーンで嬉しそうに話す。「奥様、今回もひどい下痢をしたのよ」
その田町夫人を訪ね、マラカイトのネックレスを手渡さなくてはならない。品川がキンシャサのドロボウ市場で、売り手の涙を絞り尽くすほどの安値で買ったものだ。田町はきっと夫人に対して、ミキモトの高級真珠並の高値のような話をしているに違いない。実態を夫人にバラすのも一興だが、やめておこう。この夫人と会うのを一瞬でも短くしたいと品川は思った。
田町夫人と会うのが嫌な、もうひとつの理由がある。それは、必ず出てくる二人の息子の自慢話だ。彼女がキンシャサに来るたびに、さんざん聞かされている。高校生と中学生になる田町夫妻の息子たちは、誰に似たのか知らないが、大変勉強が出来るらしい。二人とも高名な六年制受験校に通い、東大街道まっしぐらという。田町夫人が夫の赴任しているキンシャサに行かないのは、アフリカに左遷された夫より、将来有望な二人の息子の面倒を見ることが重要と判断しているからだ。品川は実際この息子たちに会っていないが、どうせ度の強い眼鏡を掛けた、ヒョロヒョロのモヤシみたいなガキどもに違いないと想像している。こんなガキどもは、アフリカのマサイ族の部落に叩き込んで、やり投げの稽古やライオンとの格闘で鍛えた方が、本人たちのためになると品川は信じていた。
田町夫人は息子たちの自慢の後、必ず品川の学歴を聞いてくる。何度聞いて、何度答えても、また聞いてくる。「ところで、品川さんどちらの大学でしたっけ?以前聞いたかもしれないけど。オホホホホ・・・」品川が、自分の出た地方大学の名前を言うと、彼女は目玉の九十八パーセントを白くして、いつもこう答える。「アーラ、そうだったの。最近は地方の大学も、入るのがそれなりに難しいんでしょう?オホホホホ・・・」
ああ、いやだ、いやだ。あのババアと会わないで済む方法はないだろうか。ネックレスを郵送してしまう手もあるのだが、田町からは「女房が元気かどうか、見てきてくれ」と頼まれている。日本でしか入手できないものを、キンシャサに持って行くよう夫人から託されることもあるだろう。
思案の末、品川は方針を固めた。あのババアとは、絶対に会わない。
「すいません、田園調布ってどこですか。ここから遠いですか」
品川は本社の先輩に聞いた。「おまえ、田園調布も知らないのか」先輩はあきれ顔で、田園調布への行き方を教えてくれた。田町から、留守宅の住所を聞いていた。そこには、会いたくない田町夫人がいる。きっと、品川のことを待っているだろう。田園調布というくらいだから、きっと田んぼの真ん中なのだろう。気取っている割には、大したところに住んでない。品川はそう思いながら、田園調布へと向かった。
目的地に着いて驚いた。豪邸の並ぶ閑静な坂道には、田園らしきものはひとかけらも見当たらない。キンシャサにもここに負けない高級住宅街があるが、田園調布は野良犬や強盗がうろついていないところが違う。やがて探す番地に豪邸を見つけた。大崎と書かれた大きな表札の脇に、田町と書かれた小さな表札。ここは夫人の実家で、田町所長はその中の一角に「マス夫サン状態」で、ひっそり住まわせてもらっている構図が読めた。豪邸の元令嬢である田町夫人の日頃の態度の背景は、品川でなくても誰もが察することができる。
品川は門柱のインターホンに近寄ることもなく、用意していた手紙を入れた封筒をマラカイトの包みに付けて、大崎家(田町家)の大きな郵便受けに放り込んだ。手紙にはこう書かれている。
「いつも所長にはお世話になっております。このたびはお誕生日おめでとうございます。所長よりのプレゼントをお持ちしました。本日仕事でたまたま近所まで来たので立ち寄らせていただきました。生憎ご不在のようなので、まことに失礼ではありますが、持参したものを投函させていただきます。今月23日まで日本に居りますが、仕事の予定が詰まっていて、本日以降は残念ながら時間がとれません。もし所長にお持ちするものがありましたら、その間滞在中の下記ホテルまで、御手数でもご郵送ください」
厳重に門扉が施錠された豪邸だから、郵便受けの中身が盗られることはないだろう。夫人は在宅だったかもしれないが、広い家なのだから、インターホンの呼びかけが聞こえないこともあるだろう。家の前まで足を運んだのだから、一応の誠意は見せたことになる。第三者から見ればやや粗いやり方だが、品川にとってはこの上ない緻密な作戦だった。品川は無言で、田園調布の豪邸を後にした。
○落胆
本社での話し合いは、品川が思うように運ばなかった。珍しいキンシャサからの出張者なので、本社の各部局は、打ち合わせの時間を作ってくれた。それでも三十二歳の平社員である品川に会ってくれる相手は、担当者かせいぜい課長程度の人だ。部長や役員にも面通しはさせてもらったが、ほんの短い時間のものばかりだった。
「オオ、キンシャサか!御苦労さん。キミは元気そうだから、大丈夫だろう」
「キンシャサ? ああアフリカの…確かあそこは…英語だっけ、フランス語だっけ」
「ザイールのあそこね。ところで何しに来たの?」
偉い人たちの問いかけは、この程度のものばかりだ。ザイールの市場など、本社の誰もが関心を持っていないらしい。1973年の当時、中東での戦争に端を発した石油ショックが、世界を覆っていた。高騰する原油価格が、中東を中心とする産油国の経済を急速に豊かにし、商社を始めとする日本企業が、それら国々との取引拡大を目指して奔走していた。
「ザイールは石油が採れましたっけ」
どこの部局との打ち合わせでも、同じことを聞かれた。その都度品川は答えた。
「そりゃあ出ますよ・・・そのうちに」「現在ザイール沖で、探査が行われているようです。間違いなく石油は出ますよ。隣のカビンダやアンゴラでは、もうジャブジャブ嫌になるくらい出ていますから」「ザイールには銅やダイアモンドやコバルト、何でも出ますから、石油が出ないわけありませんよ」
品川がこう捲くし立てるほど、相手は、津波がくる前の渚のように引いてゆく。
「石油が出るのは先の話ですね。そうなると、高騰する石油を輸入しなくてはいけないザイールは、当面経済が厳しいのではないですか?」
本社の連中も、田町所長と同じようなことを言う。何で物事を、後ろ向きにばかり捉えるのか。世間が産油国に目が向いているときに、競争相手のいない非産油国での事業をどうして仕掛ける発想が出てこないのか。誰もが目指す産油国との取引競走に参戦しても、大手商社に勝てるわけがない。カネと力のない中堅商社には、ユニークなビジネス戦略こそが命なのだ。これぞメリハリ商事の真骨頂。激甚な競争を今まで生き抜いてきたのは、そのメリハリある戦略があったればこそなのだ。大手でもないのに大手商社の発想をなぞるだけの無策で、生き残れるわけがない。品川は打ち合わせを重ねるたびに、憤りをも積み重ねていた。
「国家元首のモブツ大統領が、独裁政治を布いていますよね。それって危険じゃないですか?」
そんなことを言う本社の担当者もいた。八年前のクーデターで政権を奪取したモブツは、確かに独裁体制を整えつつあった。国名をコンゴからザイールに変えた。首都の名前も、レオポルドビルからキンシャサに変えた。奇異な言動も目立っている。
それでも品川とすれば、身内の悪口を言われているようで腹が立つ。モブツ大統領とは親戚でもないし、面識もない。何の義理もないのだが、日本の新聞の浅薄な報道に接しただけで、現地に行ったこともない本社の連中に言われると、品川は腹が立った。
「あんたね。ザイールをどれだけ知ってるのか知らないが、あそこは250もの民族が共存しているんですよ。民主主義みたいな生ぬるいことやってたんじゃ、国はまともに治まりませんよ。強いリーダーシップを持つ人間が、多少強引に国を引っ張ってくことが必要なんですよ」
「なるほどねえ。そうかもしれませんねえ。ということは、弱肉強食の世界なんだ。もっと強いやつが出てくれば、そこでまた権力闘争がある。国は常に不安定な状態に置かれますよね」
「モブツを倒すヤツなんか、出てきませんよ」
「そうはいっても、彼だって年を取るでしょう。もうそんなに若くないと思うし」
「そんなこといったら、アフリカなんかとビジネスできないでしょ。本社で力を入れようとしているナイジェリアだって、ザイールと同じような多民族国家だから、政権は常に不安手ですよ」
「いや、ナイジェリアは産油国で何といってもカネがある。そこが非産油国のザイールと違うところです。もっともナイジェリアも、ご指摘のとおり不安があるので、そう深くは突っ込まないつもりですよ」
ああ言えばこう言う。本社の連中は冷暖房完備のビルの中で一日平穏に暮らしながら、一銭にもならない問答のスキルばかり磨いている。わざわざ東京まで出向いて、これだけザイールの宣伝をしているのに、「それじゃあ、ちょっと行ってみましょうか」と言うヤツは一人も現れない。足で稼ぐことを忘れた商社マンは、歌を忘れたカナリヤよりもっと始末に悪い。品川の胸の底から、怒りがこみ上げてきた。
確かに具体性に欠けた品川の大言壮語には、説得力が不十分かもしれない。それでも、風雲急を告げるオイルショックの時代なのだ。十年以上続いてきた日本の高度経済成長にも、急ブレーキをかけられてしまった。このままでは、経済大国日本は沈没するかもしれない。
そのようなときに、アフリカ奥地に送りこまれている若手社員が、景気よく花火を打ち上げようとしている。時代が変わる。新しい時代がやってくる。ビジネスも変わる。何だかわからないけど、面白くなりそうなのだ。そんな雰囲気に乗るバカが一人ぐらいいてもいいと、品川は思った。
アフリカの地におよそ似つかわしくない田町所長の青白い顔が浮かんだ。薄笑いを浮かべている。「それごらんなさい。誰も君の口車なんかに乗りませんよ。マラカイトを妻に渡したら、さっさとザイールに戻ってきなさい。そして、少しはまともなフランス語が話せるように勉強でもしなさい」
田町の声が耳元で響いた。またあの辛気臭い男と毎日顔を合わせるのかと思うと、品川は気が滅入った。
予定の打ち合わせをほぼ終えた品川は、明日日本を離れる。田町夫人からは、キンシャサに持っていくようと、大量の物品がホテルに届けられていた。
田町はため息をつきながら、本社のトイレに入る。もう二度と東京に来るものかと思いつつ用を足していると、隣で用を足す男の小声が聞こえてきた。
「あと二時間。あと二時間。もう少し。もう少し」
思わず品川は、隣の男を見た。男も品川を見てニッと笑った。昔の公家を思わせる、間延びした顔がそこにあった。品川よりも若く見える。まだ二十代かもしれない。背も小柄な品川よりかなり高い。うちの会社にも最近は変なヤツがいると、品川は思った。
●連載小説『ヒッパロスの風に乗って』第1回・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松原敬三
○東京出張
メリハリ商事のキンシャサ駐在員である品川は、久しぶりに東京本社に出張している。キンシャサは、アフリカ中部にある国家ザイール(現在はコンゴ民主共和国)の首都である。品川は入社9年目の32歳、いよいよ仕事が面白くなってきたところだ。
ときは1973年(昭和48年)。イスラエルとエジプトの間に戦争が起こり、中東からの原油出荷に支障が起きて、世界に原油高騰の嵐が広がっていた。日本では物不足が深刻になり、スーパーマーケットにトイレットペーパーを買い求める主婦たちの列ができていた。物不足を商機と捉えた大手商社が物資の買占め、売り惜しみを画策したと世の批判を浴び、社長たちが国会に呼ばれて問い詰められた。
世の中が騒然としていた。品川は、この雰囲気が大好きだ。メリハリ商事は大手商社ではなく、世の注目を浴びるような派手なビジネスを展開しているわけではないが、産油国を中心に世界的にビジネスが活発化し、彼の周囲も騒がしくなっていた。
品川の駐在するザイール国でも、何かが動く雰囲気だった。原油の生産は少ないが、ザイールは銅を始めとする非鉄金属の宝庫だ。原油価格につられて他の金属資源が高騰するかもしれない。何かドデカイ仕事が生まれそうな予感があった。アフリカはいつも騒然としていて、毎日お祭りをやっているような雰囲気のところなのだが、今はいつもと少し様子が違う。何か予想もしない大規模なビジネスにめぐり合えるかもしれない。よく分からないけど、なにしろそうなのだ。
「オレの予感は絶対当たる」
そんな自信を腹に収め、品川はその尋常ならざるザイールの雰囲気を本社に伝えるため、東京出張を思いついた。
「所長、東京に行ってきます」
品川に突然切り出されたメリハリ商事キンシャサ事務所長の田町は、所長席の椅子から半分飛び上がった。
「ナナナナ・・・ナンデ今ごろ東京ですか?キキキ・・・キミは先日、長期休暇から帰ってきたばかりじゃないですか」
「今回は出張です。遊びじゃなくて、仕事ですよ」
「ワワワカッテマス。何でいまどき東京へ行くんですか。何か案件がありましたっけ?」
メリハリ商事キンシャサ事務所には、日本から派遣された日本人が、田町と品川の2人しかいない。あとは現地ザイール人の社員や運転手などのスタッフ総勢10名ほどの、小さな事務所である。本来であれば、品川にとって上司である田町との人間関係は、とても大切なのだ。
ところがこの2人は、性格が正反対で波長がまるで合わない。気が小さくて万事細かいことを気にする田町。大雑把で常に大きなことを考えているのだが、詰めの甘い品川。考えすぎて、悩みすぎ、周囲に気を配りすぎ、結局なにもやらない田町。あまり後先を考えず、すぐ行動に移す品川。アフリカに孤立した小さな事務所にポツリと向かい合う2人の日本人は、密林に住むゴリラでさえ呆れるほど、甚だしくかみ合っていなかった。
品川のような部下を持ってしまった田町は、いつもわが身の不幸を嘆いていた。10歳も年が違い、あまりにも性格が違うため、喧嘩にはならないのだが、田町は品川の大胆な行動にいつもハラハラしている。品川が何か事を起こせば、即上司である田町の責任となる。
「所長、感じませんか?この、何ちゅうか、ホレ、今世の中はオイルショックが蔓延して、産油国は未曾有の好景気。ワクワクするでしょうが」
「ぼくは特に感じないけどねえ。このザイールは産油国じゃないから、高い石油を輸入しなくちゃならない。乏しい外貨が底をつき、オイルショックはこの国にとっては逆風だと思うがねえ」
「違いますよ所長。原油の高値が銅やコバルト、ダイヤモンドの相場にも波及しますよ。ザイール河口沖の海底油田開発だってこれから始まるでしょうし、そうなったら、ホレ、この国はウハウハでしょ。ハハハハハ!」
「所長、行動するなら今ですよ。東京本社の担当部局と一発仕組んでこようと思って。だから出張したいんです。大手の後追いじゃ、わが社の商圏なんて出来やしませんよ。デショウ?」
いやだいやだと田町は思う。品川の話はいつもこの調子だ。何の具体性もない。中身もない。現地女性の腰巻用布地を地道に売っていればいいのに、この男はいつも大きなことばかり考えている。
だいたい何の因果で、オレはこんなアフリカの奥地に飛ばされてしまったのか。田町の嘆きは、ザイールのジャングルのように果てしない。大学の仏文科を優秀な成績で卒業した彼は、パリに短期間語学留学した経験がある。毎日シャンゼリゼ通りをうろついて、左右に並ぶ店の名前をあらかた覚えてしまった。商社に入ってパリの駐在員になる。それが田町の夢だったのに、同じフランス語を話す国とはいっても、旧ベルギー領のザイール駐在なんて、夢にも考えていなかった。
それに品川みたいにアホな部下と一緒になるとは・・・田町の思いは巡る。品川のフランス語のひどさは想像を絶する。彼の口を突くフランス語は、本来この言語の持つあの優美で詩歌のような語調を無残にすり潰し、その上からリンガラ語と大阪弁をまぶしたような破壊語なのだ。シャンゼリゼやモンマルトルで仕込んだ本格的フランス語を操る田町としては、我慢の限界を4倍ほど超えていた。
あれでよく商売が出来るものだ。東京出張などしないで、現地でコツコツとフランス語を磨いて欲しいものだ。あんなフランス語は、キンシャサ郊外にある盗品が並ぶドロボウ市場で、マラカイトを値切るくらいにしか役立たない。
マラカイト・・マラカイト・・そうだ、マラカイトなのだ。
田町は急に思い出した。単身赴任の田町は、日本に残している妻の誕生日が近づいていることを思い出した。妻から頼まれてザイール特産のマラカイト(孔雀石)のネックレスを誕生祝に買っておいたのだ。品川にドロボウ市場で、破格の安値に値切り倒してもらったので、大粒で質の良いマラカイトのネックレスが、信じられない安さで手に入った。品川は、こういうときだけは役に立つ男なのだ。
そろそろそれを妻に送らねばならぬ。ザイールから送っても、郵便事情の悪いアフリカでは、確実に到着する保証はない。どうしようか悩んでいた。
そうだ、品川に日本まで持っていってもらおう。そうすれば、郵送の費用も助かるし、ザイール出国のときも、ユスリタカリの雲助税関吏を手なずけている品川のことだから、上手く税関を通してくれるだろう。品川という男は、修羅場にだけ役に立つヘンな男なのだ。
「そうだよ、品川君。キミの言う通りだ。今こそ日本出張の絶妙なタイミングだと思うよ!」
「・・・・」
「日本に出張したまえ。そしてザイールを本社に大いに売り込んでくれたまえ!」
田町所長の態度急変を受けて、品川はあっけに取られた。説得は難航するだろうと覚悟していた品川は、田町の想定外の反応に耳を疑った。
何はともあれ、品川の東京出張は許可された。田町に託されたマラカイトのネックレスを持って、彼は1年ぶりに東京の土を踏んでいた。
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